
あの人に嫌われているのかもしれない
何か機嫌を損ねるような態度をしてしまったのかもしれない
このように悩んでしまうのって、とても苦しいですよね。
本記事では「自分は嫌われているかも」と悩んでしまう原因の一つである、自他境界について解説していきます。
自他境界が曖昧だと「他者の態度」は変えられると思ってしまう
実は、悩むことで消費している大半のことは
「自分ではどうにも出来ないこと」
の場合が結構あります。
そのため、「自分は嫌われているかも」と悩んだら初めにすべきことは
「その悩みは本当に自分が悩むことで何かが変わる問題なのか」
ということを一度立ち止まって考えてみることです。
例えば、会社で別の部署の部長とすれ違った際に挨拶をしたけど、相手の態度が冷たく素っ気なく感じた場合、
「あの人に嫌われているのかもしれない。どうしたらいいのだろうか」
このように悩むことってありますよね。
しかし、それは
「自分の接し方によって、他人の態度を変えられる可能性がある」
と無意識に思っているということにもなるんです。
自他境界が曖昧になり、「他者の態度」は変えられると信じたキッカケ
「他者の態度は変えられる」と信じるキッカケは多くの場合、幼少期にあります。
身近な大人(主に親)の不機嫌や都合の悪い出来事の責任を、自分の振舞いが原因だと思い込んでしまうことがあるんです。
例えば、
親が出掛ける予定の日に、自分の体調が悪くなって中止になり、親の機嫌が悪く感じた
→自分が体調悪くても言わなければ、親は出掛けられて不機嫌にならなかったに違いない
「今日はカレーが食べたい」と親に言ったら、「わがまま言うんじゃない!」と怒られたと感じた
→自分が自己主張したせいで、親の機嫌が悪くなったに違いない
これは「自己関連付け」と言って、幼い頃は誰でもその傾向があります。
しかし、そもそも親自体が
- 自分の機嫌の悪さを子供のせいにしてしまう
- 子供が、自分と違う意見・考え方・価値観を持つことを良しとできない
このような親元で育つと、成長してからも自己関連付けの心理が弱まりません。
それにより、
「自分の振舞い方」と「他者の機嫌や態度」
とを関連付ける傾向が強いままになりがちです。
そして、自他境界もしっかり引かれず、他者の機嫌や態度は
「自分の振舞いによって決まる」
と思い込んだまま大人になってしまいます。
その結果、自分の振舞い方によって他者の機嫌や態度を変えようと無意識に行動してしまうことになるんです。
関連記事>>>他者の不機嫌を自分のせいだと思ってしまう理由
他者の自由を認めていないと自分が苦しくなる
過去に親から自分の振舞いや態度を過干渉されてきた経験があると、「自分ルール」と呼ばれる自分だけのルールや価値観が増えやすくなります。
すると、自分が他者から干渉されて従わざるを得なかったルールを、今度は自分が他者に押し付けてしまう傾向が強くなるんです。
本来、他者は他者の考えの元で生きており、第三者の自分が干渉できるものではありません。
しかし、自分は自分の考えの元で生きてこられなかった人は、無意識のうちに
- 挨拶をしたのに、きちんと挨拶返しがないなんて許せない
- どうにかして相手を自分ルールに合わせて変えたい
といった具合に、無意識下で他者の自由を認められなくなってしまいます。
関連記事>>>過干渉な毒親との正しい向き合い方
その悩みは、自分がどうにか出来る問題なのかを見極める
「私、嫌われているかもしれない」と思ったら、悩み疲れてしまう前に、まず、
『その問題は、自分がどうにかして解決出来るものなのか』
を一度じっくり考えてみる必要があります。
例えば、
「何度も約束の時間に遅刻して、相手に嫌われてしまった」
と感じた場合、自分が出来ることは
- 謝罪する
- 事情を説明する
- もう遅刻しないようにする
- お詫びをする
などです。それをしてもなお、相手に嫌われていると感じても、もう仕方がありませんよね。
仕方がないと言うと誠意のない人だと言われそうですが、自分のことをどう思うかは相手の問題であり、ここでしっかりと自他の問題の境界線を引いておかなければなりません。
自他の境界線が曖昧だと、
「あと、どれだけ謝れば、相手は許してくれるのだろうか」
という、言い換えれば、
「あと、どんな振舞いをすれば、相手の態度を変えることが出来るだろうか」
という相手を変えたいという悩みに移行してしまいます。
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自他境界を意識して、自分でどうにか出来ることだけを考える
たとえば、過去に私は友人に対して「私のこと嫌いなんでしょ!」と言い、友人を困らせてしまったことがあります。
そのセリフの裏には
- 自分には「誠実な対応をしている人を嫌ってはいけない」という自分ルールがある
- そのルールに沿って、私はあなたにいつも誠実な態度で接しているはずである。
- よって、そんな私を嫌うことはルール違反である。許せない。
このような自分ルールが隠れていました。
これは
「他者が自分のことをどう思うか」
という自分がどうにも出来ないことを、どうにかしようと悩み、疲れ果てる事例の一つです。
自分に他人を嫌う自由があるように、他人にも自分を嫌う自由があります。
まずは悩み込んでしまったら一度立ち止まり、「自分がどうにか出来ることは何か」という視点を思い出すことから始めましょう。
そして、自他境界についての知識を深めることをおすすめします。
「嫌われているのかもしれない」
という苦しい悩みは、きちんと自分の心の中で起きている現象を学ぶことで軽減していけるからです。