「嫌な人が多くてストレスだらけだ」
「自分は何かいけない存在なのだろうか」
周囲の人間関係が上手くいかないと、そんな自分のことまでも嫌になってしまいますよね。
本記事では、自分の周りが嫌な人ばかりと悩んでいる人へ向けて、そのストレスを軽減する方法について解説しています。
なぜ自分の周りは嫌な人ばかり?辛い現実を直視する方法
周りが嫌な人ばかりで辛いとき、そんな現実を変えていく方法は主に4つあります。
- 嫌な相手を「鏡」として自己嫌悪をしていることに気付く
- 自分の中に「相手を変えたい」という願望があることに気付く
- 「自分は被害者」と思っていることに気付く
- 自分と他者を縛っている「自分ルール」に気付く
これらの解決方法に共通していることは、
「現実をこれまでとは違った角度から見ること」です。
たとえ自分だけが多くの人から嫌われていると思っていても、少し見方を変えれば、
- 実は多くの人が同じように周りの嫌な人について思い悩んでいると気付ける
- 実は自分は嫌な人の「嫌な側面だけに」注目してしまっている可能性がある
- 実は嫌なのは相手の一部の発言や行為・振舞いだけなのに、それを相手の人格そのものだと思い込んでいたことに気付ける
このように捉えることもできるわけです。
つまり、
「自分が、相手を含む世界をどう捉えているのか」
これらを探ることが、辛い現実を直視することにつながります。
1.周りの嫌な人の特徴を、自分も持っているという事実
「周りは嫌な人ばかりだ」という気持ちは、ある別の感情から意識をそらすための防衛反応として生じるものです。
その別の感情とは主に「恐怖の感情」です。
たとえば、同僚にちょっとした仕事のミスをバカにされて嫌な気持ちになった場合、
無意識下では、
- バカにされる自分は周囲から孤立してしまうかもしれない
- こんな凡ミスをしてしまう自分は何をやってもダメな人間なのかもしれない
- 仕事をミスした自分は迷惑な存在だ。そんな自分はクビになってしまうかもしれない
このような気持ちが生じている可能性があるんです。
つまり本当は「嫌だ」という気持ちの下に恐怖を感じているということです。
しかし、日常的にしかも周りの人が嫌な人ばかりだという気持ちを感じ続けることは、精神的に負荷が大きすぎます。
そのため、その感情や意識を心の奥底に閉じ込めておくわけです。
他人を通して自分の嫌な部分を自覚することが怖い
周りは嫌な人ばかりだという嫌悪感を、たとえうまく心の奥底に隠せていたとしても、それが意識の上に昇って来てしまうことがあります。
それは「他者を通じて、その見たくない嫌な部分を見てしまった時」です。
先日、こんなツイートをしました。
前は「自分の周りは嫌な人ばかりだ」と思う時期があった
けど「他人は自分の心を映す鏡」という言葉を知ったとき
自分こそがその嫌な部分を持っているのかも…
と一瞬、不安になった見たくない自分と向き合うのは、心の負担が大きい
けど、少しでも向き合えた分だけ、周りの人は不思議と変わる🍀
— もちのん@生きづらさ研究家 (@mochinonc) February 1, 2020
前は「自分の周りは嫌な人ばかりだ」と思う時期があった。
けど「他人は自分の心を映す鏡」という言葉を知ったとき、
「自分こそがその嫌な部分を持っているのかも…」
と一瞬、不安になった。
見たくない自分と向き合うのは、心の負担が大きい。
けど、少しでも向き合えた分だけ、周りの人は不思議と変わる。
人は自分の心の奥底に隠している「嫌な部分」を他人の中に見ると、強い嫌悪感と恐怖心を抱きます。
それは「本当は自分が自分を許せないんだ」と気付いてしまうからです。
たとえば、
「偉そうに振舞っている人にイライラする」
そんな場合、そこには3つの前提が隠れている可能性があります。
- 誰も自分を大事にしてくれない、自分はそんな価値のない存在だという潜在意識がある。
(そんな自分を認めたくない) - 謙虚に振舞っていては誰も自分を大事にしてくれないから、自分を大きく見せたい。
(不安を隠したい) - 本当は自分も偉そうに振舞いたいけど、周囲から反感を買うのが怖いから謙虚に振舞う。
(自己否定の感情と、不安を隠したい欲望を無意識化に抑圧する)
こうした前提がある状態で、あるとき他者の偉そうな振舞いの中に自分の認めたくない姿を見てしまう。
すると相手を「鏡」にして自分がそもそも持っていた(抑圧していた)嫌な部分を、相手が持っているように錯覚します。
そして相手を攻撃(怒る)することで、自分の中の嫌な部分を否定しようとします。
つまり、本当は相手にイライラしているのではなく、自分に対して怒っているんです。
>>>自己嫌悪に陥るとは、裏に「自分は愛されない」という心理が潜む
周りが嫌な人ばかりとは、相手を「鏡」とした自己嫌悪
どうして「自分に対しての怒り」が「他者に対する怒り」にすり替わってしまうのか。
それは、投影という自分の心を守るための防衛反応が誰でも起こるからです。
>>>他人が怒っているように感じるのはなぜか?その理由と克服方法
特にストレスなどで精神的に疲れているときこそ、普段はそこまで気にならない他人の振舞いが気にさわることが多くなりませんか。
それはストレスなどでその葛藤を抱えることが一時的に困難になると、恐怖心を心の底に追いやっておく力も弱くなるためです。
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2.自分の中にある「相手を変えたい」という願い
周りが嫌な人ばかりだと、その人たちと接したときの場面を後で何度も思い出してしまい、苦しくなることってありませんか。
そういった場合、その苦しさの裏には、
「あの時、もし自分がこうゆう言動や態度をとっていたら、相手の対応や状況を変えられたかもしれない」
という前提を自分が持っている可能性があるんです。
これは別の言い方をすると、
「他人の態度は、自分の振舞い次第で変えることが出来る」
と無意識に思い込んでしまっているということです。
そして嫌な人の事を何度も考えてしまう行為というのは、
- 「どんな対応をしたら、相手が嫌じゃない態度をしてくれるだろうか」
- 「理想の他者の態度を引き出すためには、自分はどんな態度、言動をすべきだっただろうか」
このような「反すう思考」によって答えを探す行為でもあるわけです。
嫌な人ばかりと思うのは、本当は誰からも嫌われたくないから
嫌な人のことを考えることに疲れてしまう場合、それだけ自分の中に、
「嫌な人」というカテゴリーに分類する人を、作りたくない
という強い思いがある可能性があります。
この思いが強いほど、ストレスを受けやすいというのは容易に想像できますよね。
しかし、
誰からも嫌われたくないというのは、同時に誰からも好かれないことを意味する
このことにも気付く必要があります。
>>>「私、嫌われているかも」と悩むのは、自他境界の曖昧さが原因!?
3.「自分は被害者」と思ってしまうから嫌になる
たとえ接しなくとも目に入るだけで嫌だったり、言動や態度、言葉遣いにイライラして怒りが収まらないことってありますよね。
そして、そんなことに腹を立てている自分にさらに腹が立ったりと、人間関係でのストレスって絶対に避けたいものです。
しかし、相手の言動や態度によって、自分の怒りが引き出されたと思ってしまうと、それは自分が「被害者」だという意識を作り出してしまいます。
「怒りの原因が相手にある」と思うことは、相手にその怒りを鎮める力も与えてしまうことになります。
それでは怒りを自分の力でどうにも出来なくなってしまいます。
まずは怒りの感情の手綱を自分がしっかりと握ることが大切です。
嫌だという感情は思考から生じるもの
他者に対してイライラを感じてしまう原因として、「感情は思考から生じる」ということを押さえておく必要があります。
ここでいう思考とは「価値観」に近いものです。
たとえば職場でなら、
- 「職場では感情を出さずに振舞うべきである」
- 「自分の担当の仕事でミスをしたなら、責任を持って自分が対応するべきだ」
このような価値観を自分が持っていることにより、この価値観に沿わない他者に怒りを感じてしまっては、結果的に、
「自分の周りは嫌な人ばかりだ!」
となってしまうわけです。
つまり、怒りは自らが作り出してしまっているんです。
4.自分と他者を縛っている「自分ルール」の存在
「〇〇するべきである」という価値観のことを、俗に「自分ルール」と言います。
この「自分ルール」を、自分に対してだけでなく、他者に対しても設定してしまうことが、他者への嫌悪感やイライラの原因となります。
そして普段から、
「無意識にこの自分ルールを、他者にも課してしまっていること」
に気付かないことが、ストレスを溜めることにつながっているんです。
こんな自分ルール持っていませんか
たとえば、こんな「自分ルール」を持っていませんか。
- とにかく自分の感情をグッとこらえていなければならない
- 仕事の期日はどんなことがあっても、絶対厳守しなければならない
- ミスをした時は誠意を持って謝罪と対応をしなければならない
自分をきちんと律することは立派なことです。
しかし、問題はこれら自分ルールを守ることを他人にも無意識に求めてしまうことです。
価値観は人それぞれ違うため、自分のルールを守ることをいつも他者に求めてしまっていては、周りが嫌な人ばかりになってしまうのも当然です。
思い込みだと気付けば、相手の態度の解釈が変わる
自分ルールを他者にも課していることに気付けたら、その自分ルール、価値観を改めて見直してみましょう。
- 「落ち度があっても、謝り方は人それぞれ」
- 「謝らない態度をあえて取ることが、自己防衛策の人もいる」
- 「自分も状況に応じて、謝り方、誠意の見せ方を柔軟に変えてもいい」
そうすると、その相手への見方が変化し、相手が感情的な態度をとる理由が見えてきます。
また自分自身が、自分の振舞いや態度を縛り付けていたことに気付けるはずです。
自分にも相手にも「こうあるべき」という縛りを軽くできるので、楽になります。
相手に対してイライラしてしまうというのは、言い換えれば、他者に厳しいとも言えます。
他者に厳しい人は、自分自身にも厳しいものです。
それはとても立派なことではありますが、きっと誰もあなたに立派であることを求めてはいないでしょう。
実はもっと気軽に仕事をして、気軽に生きてもいいのかもしれません。
もちろん、これまで自分に厳しく生きてきたからこそ、今のあなたがあることは誇りに思うべきです。
しかし、自分が作った自分ルールによって、周りが嫌な人ばかりになり苦しんでいるのであれば、それはもう手放してもよいのかもしれません。
どんなに悩んでも、自分と合わない嫌な人は現れてしまう
「働きアリの法則」というのをご存知ですか。
働きアリの集団の中で、
- とても良く働くアリ
- 普通(時々怠ける)のアリ
- そして全く働かないアリ
この3つのグループの割合は、常に固定されているという法則です。
よく働いているアリ2割を間引くと、残りの8割の中の2割がよく働くアリになり、全体としてはまた2:6:2の分担になる。
よく働いているアリだけを集めても、一部がサボりはじめ、やはり2:6:2に分かれる。
サボっているアリだけを集めると、一部が働きだし、やはり2:6:2に分かれる。
働きアリの法則 – Wikipedia
これは人間社会にも当てはまり、他者への好き嫌いに対する割合にも適応されるんです。
つまり、自分がどんなに頑張って他者に気を遣っても、ぶっきら棒な態度をとったとしても関係ないということです。
- 自分の事を理由なく嫌う人も必ずいる
- けれど、無条件に好意的に受け止めてくれる人も必ずいる
そして、それは自分が他者にどんな態度を取ろうと、自分の周囲の”6割”の人は、別に関心なんてない、無関心であるということを意味しています。
しかし理屈の上では理解できても、心は納得してくれないものです。
そのためにまずは、
自分がどう振舞おうが、嫌いな人というのは出現してしまう。
だからこそ働きアリの法則を受け入れ、良い意味であきらめられるのが最良の選択である。
ということだけを知っておきましょう。
嫌な人ばかりでも、自分を大切にしてくれる人のことを考えてみる
嫌な人のことで頭がいっぱいになると、
- 自分に良くしてくれた人
- 自分に心配してくれた人
のことを、ほとんど考えられなくなります。
何か目の前に問題が立ちはだかると、その対処にばかり意識が向いてしまいがちです。
しかしそんな時こそ、逆に自分に優しくしてくれる人の存在を思い出すことで、嫌いな人への囚われから抜け出せるきっかけを作りましょう。
嫌な人ばかりなのは、それだけ自分を大切にしたい証
「自分の周りは嫌な人ばかりだ」
こう言うと一般的には、「ワガママだ」とか「性格が悪い」など、ネガティブに捉えられることが多いかもしれません。
しかし、実はそれだけしっかりとした自分の軸を持っているからこそ、嫌な人ばかりになってしまっているとも捉えられます。
そして自分にとって嫌な人というは、自分の中の認めたくない部分が他人に映し出されたものでもある。
そのため自分と向き合うことで、ストレスは減らすことも出来るんです。
まずは、嫌な人は努力でどうにかなるものではないということを意識していきましょう。