今まで頑張り続けてきたが、もう疲れてしまった。
なのに休むことができない。
頑張り続けることをやめられない。
なぜいつも頑張っているのに、力を抜いて休むことが出来ないのかと悩んでいませんか。
本記事では頑張ることに疲れた人へ向けて、自分に休むことを許せない原因について解説していきます。
自分の内面を知っていくことで少しずつ、
「休んでもいいんだ、そこまで頑張り続けなくていいんだ」
そう思えるようになるはずです。
頑張ることに疲れた人へ。それでも自分に休むことを許せない理由
1.向上し続けないと無価値な自分と向き合うことになる恐怖心がある
多くの人は自分の体調に合わせて日々を頑張り、そして当然ですが疲れたら休むものです。
しかし、頑張ることに疲れ果ててしまう人の場合、
- 疲れても休むことなく働き続けてしまう
- 休んでいると何だか落ち着かなくなってしまう
こうした上手く休むことが出来ない人は、頑張ることで普通の人以上に何かを得ようとしている場合があります。
それは主に自分の存在価値です。
休むことを許せないほどの自己否定を抱えて生きてきた
少し大げさだと感じるかもしれませんが、休むことを自分に許せない人ほど、無意識下で、
「ありのままの自分では存在価値がなく、誰にも相手にされない」
という強い自己否定の感情が自分を駆り立てている場合があるんです。
ではなぜ「ありのままの自分ではダメなんだ」と思い込んでしまったかというと、その可能性の一つに、幼い頃の親との関係性が考えられます。
たとえば、幼い頃から親に、
- ほとんど褒められずに育ったため、褒められたいという気持ちが強くあった
- 親が完璧主義で、何事も完璧にこなせなければ叱られていた
子供は親の愛情がなければ生きていけません。
そのため、こうした環境で育った子供は勉強でも遊びでも家の手伝いでも、何かをやる動機が、「楽しそう・面白そう」といったポジティブな理由ではなく、
- 「(本当はやりたくないけど)やらないと怒られる」
- 「(本当はやりたくないけど)これをやれば親が褒めてくれるかもしれない」
といったネガティブな理由が行動の原動力になってしまいがちになります。
こうしたネガティブな理由(ありのままの自分ではダメ)を原動力にしているわけですから、頑張ることに疲れてしまうのは当然です。
「頑張ること、向上し続けることによってのみ、自分は存在を許されている」
そうした感覚が心の底にあると生きること自体が、とても苦しいものになってしまいます。
2.楽しむことに罪悪感がある
楽しむことに罪悪感があると聞くと「そんなばかな!」と誰もが思いますよね。
しかし、なぜ頑張ることに疲れても自分に休むことを許せないのかと深堀りしていくと、自分の中に、
「義務を果たさずに、楽しんではいけない」
という気持ちがあることに気付くはずです。
ここでの「義務を果たす」とは、
- 楽しむだけの頑張りをしたか
- それだけの成果を出したのか
という意味合いであり、無意識の中で、
- 「何かを成し遂げていなければ、自分に価値はない」
- 「価値のない自分には、何かを楽しんでいる余裕なんてない」
このように感じている可能性が考えられます。
ここでの「価値のない自分」とは、先にも述べた「誰にも相手にされない自分」というものです。
つまり楽しむことが出来ない人というのは、自分の感覚である「楽しい、楽しくない」よりも、
「頑張るべきか否か」という正しさを優先してしまっているということです。
これでは「疲れたから休む・息抜きに遊ぶ」という自分の感覚が重要視されず、休むことに罪悪感を抱いてしまうのも想像できるはずです。
>>>「義務感で生きてる人生・生活」を変えるには、新しい解釈が必要
頑張ることに疲れた人が見落としていること
頑張ることに疲れたとき、それでも頑張り続けてしまうのは、
「今のあなたは十分に頑張った。だからもう休んでいいんだよ」
とこれまで誰も言ってくれなかったからかもしれません。
しかし、だからこそ自分が自分自身に対して、そう言ってあげる必要があるんです。
そのために思い出してもらいたいことがあります。
それは頑張ることに疲れるまで頑張り過ぎなくても、自分は多くの人から好かれてきた、いや、今も好かれているはずだということです。
よく思い返してみてください。どんなことでも良いんです。
- 職場で気さくに声を掛けてくれる人
- 笑顔で対応してくれるコンビニの店員
- たまに「元気?」と連絡をくれる友人
そして、改めて自分が何のために頑張ることに疲れても、休まず努力し続けているのかを見つめてみてください。
努力の目的が自分の中で定まっていない頑張りは、誰でも辛いです。
マラソンだって、42km先にゴールがあると思うから頑張れるわけです。
ゴールがどこか分からなかったら、誰でも途中で走る意味を見失ってしまいます。
「もうどうでもいいや」という境地になってみることが必要
一つ断言できることがあります。それは目的があいまいな努力は報われないということです。
さらに、目的が明確だったとしても、それが
「他人に認めてもらうこと」
といった相手の気持ちを動かしたいと無意識に思っている場合、これもそのための努力は報われないんです。
その理由は、他人の気持ちは自分の努力ではどうにも出来ないからです。
これも当たり前のことのようで見落としがちなことです。
誰かに認めてもらいたいという気持ちで何かを必死に頑張っても、自分のことを認めるかどうかは相手次第ですよね。
つまり、どれだけ努力しても認めてくれない人もいれば、努力なんかしなくとも、自分のことを好いてくれる人もいるわけです。
そう考えると、もう何のために頑張ることに疲れてまで努力してきたか分からなくなりますよね。
そんな時こそ、もうどうでもよくなってみるべきです。
これまでの人生、ずっと努力を投げ出さずに頑張り続けてきたんですから、この機会に一度投げ出して、きちんと休むべきです。
そして、休むことが出来たら、きっと休んでも何も失うものなんてなかったと気付けるはずです。