誰に対してでも、つい「何でこうしてくれないの!」と期待してしまう。
周りの人に対するストレスや怒りがあればあるほど、もう本当に疲れ果ててしまいますよね。
「他人に期待しても、イライラしてしまうだけだ、やめよう」
そう頭では分かっていても、なぜか止められない…。
実はそれには、明確な理由があるんです。
本記事では、他人に期待しないで楽に生きていくための方法について解説していきます。
「なぜ他人に期待してしまうのか」
その心の仕組みを知ることで、他人に期待しそうになった時に気付いて踏み止まれるようにもなっていけるものです。
他人に期待しない方法とは
他人に期待しないようにするためには、主に3つの方法があります。
- 自分が他人に期待していることを意識する
- 期待しても他人は変わらないことに気づく
- 他人への期待をあきらめる
そもそも、ストレスや怒りとは、他人への期待から生じるものです。
その他人への期待を減らすことで、ストレスを軽減していきましょう。
自分が他人に期待していることを意識する
他人に期待しないためには、まず、
「自分が具体的に、どのようなことを他人に期待をしてしまっているのか」
このことをきちんと把握することが重要になってきます。
それは、そもそも他人に期待するということが「他人からの承認を求めること」であるのと同時に、
自分が持っている独自のルール(自分ルール)を、他人にも守ってもらうことを無意識に要求すること
こうした一方的な欲求でもあるからです。
たとえば、
- 自分が笑顔で挨拶をすれば、相手も笑顔で挨拶し返してくれるはず
- いつも仕事を手伝っているから、相手も手伝ってくれるはず
このような一種の「自分だけのルール」を数多くもっているほど、相手も〇〇するべきだという他人への期待も大きくなってしまいます。
そうした中で期待が裏切られてしまえば、相手に対して怒りを感じることが増え、日常がとても生きづらいものになってしまうわけです。
さらに自分ではなかなか気づきにくいものですが、他人に対してイライラしやすい場合、その心の奥底には、
「他人はコントロールすることができる」
という自分を苦しめる思い込みが隠れている可能性があるんです。
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どうしても「他人が変わるべきなのに」と苦悩してしまう理由
自分がどんなに何かを他人に期待したとしても、基本的に自分の行動や発言によって、他人を変えることはまずできません。
むしろ「相手は変わるはずだ」と期待すればするほど、他人に執着してしまうことになります。
では、そう頭では分かっているにも関わらず、なぜ他人に期待してしまうのでしょうか。
1.他人から認められることで、自分の存在価値を見出そうとしているため
これは自己肯定感をなかなか持てない人に当てはまります。
人は誰でも、
「長所も短所も合わせ持った、不完全なそのままの自分で良いんだ」
そう思えないと、自分で自分のことを認められません。
自分で自分を肯定できないと、代わりに他人に肯定してもらおう(=認めてもらおう)としてしまいます。
つまり、他人の好意を人並み以上に必要としてしまうということです。
その他人の好意を得るための手段の一つとして、自分でも気が付かないうちに、
- 「他人をコントロールしよう」
- 「自分ルールを他人にも守ってもらおう」
そう無意識に望んでしまう場合があるわけです。
他人に期待しないためには、こうした自分の心の中で起きている出来事に気付いていく必要があります。
気付けなければその分だけ、どんどんフラストレーションも溜まっていってしまいます。
2.「こうあるべきだ」と親から過剰に期待されて育ってきたため
人によっては大人になった現在でも、幼少期の親の影響を大きく受けていることがあります。
それは特に親が子供に、親の自分ルールを過剰に押し付けていた場合です。
たとえば、子供時代に押し付けられた「暗黙のルール」として、
1.親の「子供のため」という善意は絶対に受け取らなければならない
- 親に何かしてもらったら、必ず何があっても有り難く受け取らなければならない
- 親の勧めたもの(食べ物でも本でも服などでも)は、断ってはいけない
2.自分のことよりも、親(他者)のことを優先しなければならない
-
自分の興味・関心事よりも、親の機嫌や都合の方を優先しなければならない
このように子供時代に親から「こうあるべき」という暗黙のルールを強要されていた場合、
それと同じルールを自分も気付かないうちに、親から受け継いで持ってしまっていることが実は多くあります。
そうすると今度はそのルールを、自分が他人に対して「当たり前のルール(常識)」として、押し付けてしまいやすくなるわけです。
>>>毒親育ちは、現実を見るフィルターが生きづらいものにされている
3.場の空気を必要以上に読み、他人にも察することを求めてしまうため
親の態度や言動に一貫性がない環境で育った場合、その子供は親の機嫌を敏感に察するようになります。
たとえば幼少期の例で言うと、
- 昨日までは「問題なかった行為」が、急に今日からはやると怒られる
- 「勉強しなさい!」と言った直後に、「少しは手伝いもしなさい!」と言われる
このような親の機嫌や言動がコロコロと変わる環境では、子供は身動きがとれなくなり、いつも混乱することになります。
- 「どんなことなら、やっても大丈夫なのか」
- 「どんなことをすれば、怒られるのか」
こうしたことにいつも気を配らなければならない子供は、結果的に自己主張を極力せず、親の機嫌や雰囲気を察して動くようになってしまいます。
そうすると大人になってから今度は、
「他人も自分の機嫌や事情を察するべきだ」
と相手に対して思いやすくなります。
たとえば、
- 自分はいつも上司の機嫌を考えて行動しているのに、後輩は自分のことしか考えていないのが許せなくなる
- 遅刻した友人の弁解に対して「遅刻したんだから、もっと遠慮すべきだ」とイラっとしまう
このように幼いころに身に付けた、
「察するコミュニケーション」
という方法を成長してからもずっと続けてしまうと、他人に期待して苦悩してしまう大きな要因になるわけです。
こうした自分のことを察することを他人に期待しないようにしていくためには、
自分と他人との心の境界線
について知っていく必要があります。
他人に期待しないためには、自他境界をはっきりさせることが不可欠
「結局、他人に何かを期待するって、とても無駄な労力になってしまう」
そう頭では分かっていても、止められないのが人間です。
しかし、本記事で分かってもらいたいことは、
- 他人のどんな怒りや不機嫌も、それはその人の責任
- 自分のどんな怒りや不機嫌も、それは自分の責任
だということです。
つまり、
人の中に生じた感情の責任は、100%その人にある
ということを心の底から理解できていないと、どうしても他人に期待してしまうんです。
著「どうしても「許せない」人」の中でも、どんなに辛くても、自分と向き合わなければ、その辛さは乗り越えられないと述べられています。
誰でも「あの人はどうしても許せない」と思うほど憎い人がいるだろう。
しかし、そのずうずうしい人、卑怯な人、ずるい人のことをいつまでも考えていれば、悔しさで消耗し、自分が破滅していくだけである。
~略~
悔しさで消耗し、やつれないためには、この体験を「無駄にしないでいこう」と思うことが大切だ。
自分がここまで軽く扱われてしまったのには、自分の側にも原因がある。心の弱さがある。
その原因をしっかりと認めなければ、同じことをまた繰り返してしまう。
少しずつでいいんです。
「自分はどうしてこんなに他人に期待してしまうのだろう」
と考え続け、その心の仕組みを知り続けることが大切なんです。
そうして、自分と向き合っていけば、他人への期待というのは、自分と他人の境目である境界線がボヤけているために起きていることにも気が付くことができていくはずです。
>>>「私、嫌われているかも」と悩むのは、自他境界の曖昧さが原因!?
この境界線というものをしっかりと引けるようになることが、他人に期待しないようになるための第一歩になります。