どうして自分ばかり不幸で、こんなに毎日が辛く、人生うまくいかないんだろう。
自分だけが何をやってもうまくいかなければ、もう何も頑張る気力が失せるほど絶望してしまうものです。
しかし、もしかしたら自分は「周りの人との比較」に苦しんでいるのであって、辛い状況そのものに悩んでいるわけではないのかもしれません。
事実、同じように辛い状況に陥っているときでも、
- 「自分は不幸だ」
- 「自分ばかり不幸だ」
このどちらの捉え方をするかによって、人生の生きやすさは大きく異なってきます。
ではなぜ自分は、
「他人よりも幸せか不幸か」
ということに苦悩してしまうのでしょうか。
本記事では、そんな苦しい思いを一人で抱えている方へ、少しでも苦悩を軽くしていく方法について解説していきます。
なぜ自分ばかり不幸なのか…苦しい思いを乗り越えるには
「自分だけが不幸だなんて本当は考えたくもないのに、そんな風にばかり考えてしまう」
そんな辛く苦しい思いから抜け出せない大きな原因としては、自分が心理的に孤立してしまっていることが考えられます。
たとえばもし身近な友人から、いまの自分と同じ悩みを抱えていることを打ち明けられたとしたら、あなたはどう感じるでしょうか。
「辛いのは自分だけじゃなかったんだ」
そう思えたならば、少しは気持ちが和らぐはずです。
自分の本音や悩みを誰にも相談できずに孤立してしまっていると、
- 他人はみんな幸せに生きているに違いない
- 自分だけが、こんなに苦しい悩みを抱えているに違いない
そう多くの人が無意識に思い込んでしまうものです。
だからこそ他人も自分と同じように悩み苦しんでいることを知るだけでも、心が軽くなる場合が少なくありません。
たとえば、SNSや悩み相談の掲示板サイトなどで、自分と同じような悩みを抱えている人の人生相談を目にするだけでも、
- 「みんな人それぞれに、苦しい悩みを抱えているんだ」
- 「自分は不幸のどん底にいるわけじゃないんだ」
そう自分の置かれた状況を一歩引いて捉え直せると、人は安心感を得られるものです。
ではなぜ自分は何ごとも一人で抱え込んで、心を閉ざしがちになってしまうのでしょうか。
そこには、
「自分の苦しみは、誰からも理解されないに決まっている」
という強い信念が隠れている場合があるんです。
幸福の競争に巻き込まれていることに気付く
本来、充実感や幸せといった気持ちは、周りの人の幸・不幸の状況に関係なく、自分の心の中だけで完結して実感できるもののはずです。
しかし心理的に孤立していると、自分の心を支えるものが弱くなってしまい、周りの人と比べて「欠けているものがある自分のこと」を認めにくくなります。
そうなると人は、そんな自分に劣等感を抱きやすくなるものです。
- 「〇〇ではない自分が情けない、恥ずかしい」
- 「〇〇な自分のことが、イヤで仕方がない」
こうした劣等感を強くもっていると、どうしても他人に対して強がったり見栄を張ったりすることで、無意識が自分の心を守ろうとします。
このことは、つまり、
強がって見栄を張ること
= 相手とどちらが幸か不幸かを競うこと
= 相手と幸福の勝ち負けの「競争状態」に陥ること
を意味するわけです。
こうなってしまうと、自分の周りにいる友人や同僚、ひいては全ての人が、いつの間にか競争相手=敵になってしまいます。
身近な人たちがみな「敵」となってしまえば、誰に対しても、
- 心を開いて相談できない
- 辛い気持ちを打ち明けられない
- 相手の幸せを心から祝えない
こうした苦しい状態に陥ってしまうのは当然であり、そうしてますます心理的に孤立してしまうわけです。
大切なことは、自分が無自覚のうちに周りの人たちと幸せの競争状態に陥ってしまっていることに、まずは気付く必要があるということです。
誰のことも信じられず相談できなくてもいい
「なぜ自分ばかり不幸なんだろう」
そんな絶望感から抜け出せずに、周りの人たちがどうしても敵に思えてしまえば、弱音を吐いたり相談したりするのが難しくなります。
だからこそ、誰にも悩みを打ち明けられない自分を責めたりしなくてもいいんです。
たしかに一人で悩みを抱え込むのは辛いことですが、それは心が自分を守ろうとする防衛行動でもあるからです。
まずは人を信じて誰かに相談する代わりに、
「劣等だと思っている自分のこと」を少しずつ許してあきらめていく
このことが、自分ばかりが不幸だという苦しい思いを和らげていくための重要な一歩になります。
ここで言う「許してあきらめていく」とは、
「周りと比べて、〇〇が欠けている自分でも実は大丈夫なんだ、今のままの自分でもいいんだ」
と気付いていくということです。
>>>ダメな自分に落ち込む…自信を取り戻すために思い出してほしいこと
「なぜ自分ばかり不幸なんだ…」と思いやすい人に共通すること
自分に劣等感を抱きやすい人は、大小問わず何かと他人と自分を比較しがちな傾向があります。
たとえば、
- 職場で同僚が褒められていると、
「なぜ自分も全力で仕事に打ち込んでいるのに評価してもらえないのだろう」
と不安や不満になってしまう - 独身生活をそれなりに満喫していたのに、公園で家族連れが楽しそうに休日を過ごしている姿を見たとき、自分の人生が虚しく無意味なものに感じてしまう
こうしたことは一見、誰にでもありそうなものです。
しかし、よく考えてみると、
- 「同僚が褒められたこと」
- 「他人の家族が楽しそうなこと」
このような出来事と自分の評価や充実感とは、全く無関係なもののはずですよね。
実際、誰かが褒められていようとも、他人が充実した休日を過ごしているように見えようとも、それらは自分の幸せとは何の因果関係もないはずです。
それなのに自分の存在価値や人生の充実度を推し測るモノサシとして、無理やり自分と他人を関連付けをしてしまえば、そのたびに落ち込むことになってしまいます。
こうした思考のクセをもっていると、身の周りで起こる出来事を何でも自分と比較して無自覚のうちに優劣をつけがちになります。
そうすると自分にも良いところや充実している日常がたくさんあるのにも関わらず、自分の欠けているところばかりを過大評価して、
「どうして自分だけがこんな報われない人生なんだ…」
という極端な考えや思いに囚われやすくなってしまうんです。
また、この思考グセは日常の些細な場面でも生じやすく、
- 自分が並んだレジの列ばかり、いつも遅い
- 傘をもたない日に限って、必ず雨に当たる
このような日々の思考の積み重ねによっても、自分ばかりが不幸だという思いは強化されてしまいます。
実はこうした思考グセは、そもそも他人の目を通してしか自分を評価できていないことが、大きな原因である可能性があるんです。
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自分ばかり不幸と嘆きながらも、実はそんな自分を気に入っている
「周りの人たちと比べて、どうしても自分ばかりが不幸だと感じてしまう」
実際、その苦しさや絶望感は味わった人にしか分からないほど辛いものですよね。
「幸せそうな他人が本当にうらやましい」
もしそう感じてしまうならば、下記の質問について少し考えてみてください。
もしも幸せそうな友人や同僚の誰かと、人生を入れ替わることができるとしたら、あなたは入れ替わって生きていきたいと思いますか?
この問いに、多くの人は「NO」と言うのではないでしょうか。
やはり自分がどれだけ不幸だと感じていても、心の底ではそんな自分自身やその境遇、人生に愛着をもっているはずです。
またこれは同時に、自分が幸せに違いないと思っている他人にも、その人なりの苦悩や辛さがあると何となく理解できているからだと思います。
自分は自分のうまくいかないと思っている人生を、実は案外気に入っている
そうだとすれば、それはつまり自分ばかり不幸だという感覚は、ある意味で幻想だということになります。
実際に不幸なことと不幸に感じていることは違う
いつも無自覚に他人と比較していることに気付けないと、本来は不幸でもなんでもない今の自分の現実を、いつの間にか不幸で辛いものだと思い、苦悩してしまうものです。
だからといって、その辛い現実そのものを劇的に変えていくのは大変なことですよね。
ただ、その辛いという感覚の部分については、自分の気持ちや物事の捉え方を徐々に変えていくことで、少しずつ軽くしていくことができるものです。
現実の方を無理に変えていく必要はありません。
自分の心が囚われているものに少しずつ気付いていくだけでも、人生の見え方は大きく変わっていきます。
自分のペースで一歩ずつ、自分自身と向き合っていけば、必ず見えてくるものがあるはずです。