世間体を気にする人が恐れすぎている「他人の目」の正体

心の悩み

世間体を気にするばかりの生き方に、正直疲れてしまった

他人の目ばかり気にしすぎてしまうと、ときに誰とも会いたくなくなったり、落ち込んだりしてしまいますよね。

 

本記事では、世間体を気にしすぎてしまう人の心理と、その解決方法についてお伝えしていきます。

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世間体を気にする人が恐れている「他人の目」の正体とは

「世間体」とは、自分が他人からどう見られているかという見え方、つまり他人の目に映る自分のことです。

 

では多くの人は一体、誰からの見え方を気にしているのかというと、実はその具体的な誰かはいないはずなんです。

 

それは世間体を気にする人が恐れている「他人の目」とは、あくまで自分が「頭の中で想像している他人からの評価」だからです。

 

  • 「いい歳をして結婚していないなんて…」
  • 「いい歳をして安定した仕事をしていないなんて…」

たしかに自分に向かって、このようなことを言ってくる人も少なからずいるかもしれません。

 

しかし多くの人は自分自身にしか興味がなく、他人のことにはほとんど関心なんてないものです。

つまり自分は、「〇〇な自分では、人から笑われてしまう」といった実際には存在しない誰かからの評価に怯えていることになるわけです。

 

そして、こうした他人の目に怯えるようになる原因には、必ずきっかけがあるんです。

世間体を気にしすぎるようになる「きっかけ」

あまりに世間体を気にするようになってしまう「きっかけ」は、主に孤独です。

 

ここで言う孤独とは、現実の身近な人との心のつながりを感じられなくなるという意味です。たとえば、

  • 友人
  • 職場の同僚
  • 親や親戚

こうした身近な人との心のつながりが断たれてしまうと、現実の身近な人がいくら今の自分を受け入れてくれていても、それが分からなくなります。

 

そうなれば、

「〇〇な自分では、あの人やこの人に笑われてしまう」

というように勝手に妄想して怯えることになってしまうんです。

 

しかしここで一度よく考えてみてほしいのは、こうした捉え方は同時に、

「あの人やこの人は、〇〇な自分を笑ってくるような人たちだ」

無意識に思い込んでしまっているということです。

 

果たして自分にとって、現実の身近な「あの人」や「この人」は、自分の世間体が悪くなったときに笑って見下してくるような人たちなのでしょうか。

おそらくほとんどの場合は「そんなことをしてくる人たちではない」と思っているはずです。

 

つまりこの時点で、現実の身近な「あの人」や「この人」は、自分の中で想像上の人に置き換わってしまっているということになります。

 

そして重要なことは、自分が気にしすぎているその「他人の目」というのは、

現実に存在する他者の目なのか
それとも、
自分の想像上の他者の目なのか

この区別がごっちゃになっていることに、自分がきちんと気付けていない可能性があるということです。

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孤独を感じているとき、人は心を閉じてしまっている

苦しくなるほど世間体を気にする人の多くは、心の底で孤独を感じています。

 

ではなぜ人は孤独になってしまうのかと言えば、それは自分の心を守るためです。

たとえば、

  • 職場の人に傷つけられることを言われる
  • 友人と連絡をとるたびに、相手と自分を比べて落ち込んでしまう

 

こうした「人と接するたびに、嫌な思いをする経験」が重なっていくと、多くの人はこれ以上自信を失わないように、他人との心の距離をとろうとするものです。

 

そうして他人に対して自分の心を閉じてしまえば、だんだんと孤独を感じるようになり、現実の身近な人の心の声がわからなくなってしまいます。

そして「〇〇な自分では、あの人やこの人に笑われてしまう」といった自分の頭の中の他人の声に怯えるようになってしまうわけです。

 

ではそもそも自分はなぜ、頭の中の他人のことを「立派な自分でなければ、笑って見下してくる人たちだ」と思ってしまっているのでしょうか。

自分にとって「他人」が心の支えとならないとき

人は誰でも自分の心の中に、

「他者とは、基本的に〇〇な存在だ」

という他者に対するイメージ像をもっています。

この他者イメージは主に、幼い頃の親との関係性の影響を大きく受けて作られるものです。

 

もし親が子供の感じ方や意見に関心があり、子供が落ち込んでいるときにその気持ちに寄り添ってくれるような人であったなら、子供であった自分は、

「他者とは、基本的に自分を支えて受け入れてくれる存在だ」

と思えたかもしれません。

 

逆にもし、親が世間体を気にする人で、子供にダメ出しばかりするような人であったなら、

「他者とは、基本的に立派な自分でなければ受け入れてくれない、ダメ出しをしてくる存在だ」

と思い込んでしまっても、おかしくないわけです。

 

苦しくなるほど世間体を気にするようになってしまう原因の一つには、少なくとも親の影響が大きく関係しています。

>>>毒親育ちは、現実を見るフィルターが生きづらいものにされている

ありのままの自分を認められるようになるためには

世間体を気にしすぎるようになる流れをまとめると、下記のようになります。

親や友達、周りの人との関係性によって、良い他者イメージを持てなかった

悪い他者イメージをもっていると傷つきやすく、他人に心を閉ざしやすくなる

他人に心を閉ざすと孤独になりやすく、現実の身近な人の声がわからなくなる

孤独になると、想像上の他者の批判的な声ばかりが聞こえるようになる

立派な自分でなければダメ出しされる」と感じるようになり、
世間体を気にしすぎるようになる

 

ここから言えることは、現実の身近な人との関わりを増やすことができれば、その分だけ自分のもっている他者イメージを改善していける可能性があるということです。

そしてそれが結果的に、世間体を気にしすぎない生き方につながっていきます。

 

また世間体を気にしすぎてしまう人は、自分の心を守るために人との関わりを避けがちな傾向があります。

だからこそ身近な人とのあいさつや一言二言の雑談などの関わりを、少しずつ増やしてみてほしいんです。

>>>もう誰とも関わりたくない…辛い人ほど実は他人への依存心が強い!?

 

ただ、自分のことをわかってもらいたい、認めてもらいたいなど、自分が他人から何かを得たいという気持ちが強いほど、傷つきやすくなってしまいます。

 

そこでまた孤独になってしまわないよう、自分の内面とできるだけ向き合い、一歩ずつ行動してみてほしいと思います。

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