いつも自分で自分を追い込んでしまい、精神的に疲れ果ててしまう
どんなときでも向上心をもって頑張り続けられる人は、そう多くはいないものです。
しかしそんな優れた才能をもっていたとしても、その努力の理由の根底が、
- 「必ず他人の期待に応え続けなければならない」
- 「何事も自分が責任をとらなければならない」
こうした自分を追い込むものであったなら、いつか心が壊れてしまいかねません。
ではこうした不器用な生き方から抜け出していくためには、どうすればいいのでしょうか。
本記事では、自分で自分を追い込む癖のある人に向けて、その癖を和らげていく方法についてお伝えしていきます。
自分で自分を追い込む癖を治すには?
「仕事でも家事でも人付き合いでも、何ごとも手を抜けずに、自分に完璧を求めすぎてしまう」
自分で自分を追い込む癖を治していくためには、自分の中にある誤った思い込みに気付いていくことが不可欠です。
そしてそのためには、下記のことをしっかりと理解していく必要があります。
- 立派な自分でなくとも大丈夫だと知ること
- 自分の存在価値は「物事の成功・失敗」に関わらないと理解すること
そもそも自分で自分を追い込む癖のある人は、自分の意志の力で行動をやめることができません。
それは自分が、焦りの気持ちや恐怖心といった「ネガティブな感情」に突き動かされているからです。
それではこうしたネガティブな感情から自分を解放していくために、理解すべきことについて解説していきます。
1.立派な自分でなくとも、人は受け入れてくれるものだと知ること
「いつも他人の期待に応えられる自分でいたい」
自分で自分を追い込む癖のある人は、自分に対する理想が高すぎる傾向があります。
さらにその自分に求める理想が、ときに現実の自分の能力を無視したものになりがちです。
それはその理想が、
「今の自分も十分良いけれど、もっと成長していきたい」
という健全な向上心から生じるものではなく、
「今の自分はダメだから、絶対に今以上の自分にならなければならない」
という、強迫観念から自分を追い込むものになっているからです。
こうした強迫観念は、幼少期からの親との関係性に、その原因が隠されている場合が多くあります。
安心感をもてないと、誰でも恐怖心から自分を追い込んでしまう
幼い頃にどんな親の元で育ってきたかは、大人になってもその人の一生を左右するものになります。
たとえば親が精神的に成熟していた場合、その子供は、親にありのままの自分を受け入れてもらえることで、
自分の興味や能力に合った生き方や仕事を、自然に選んでいけるようになるものです。
しかし精神的に未熟な親元で育った場合、多くの子供はまず、条件付きでしか親に受け入れてもらえません。
そうすると子供は常に無意識下で、
- 「急に親が気分をそこねて、怒り出さないだろうか」
- 「親の期待に応えられなかったら、どうしよう」
このようにいつも親の機嫌を気にして、気を張り詰めた状態でいなければならなくなります。
そして、多くの子供が当たり前のように持てている、
「無条件に親から守られているという安心感」
をほとんどの場合、持つことが難しくなります。
その結果、成長して大人になっても、常に目の前の相手の期待に応えることで、
- 何としても安心感を得たい
- 見捨てられる恐怖心から、何とか逃れたい
こうした脅迫的な気持ちから、どんなときでも極限まで自分を追い詰めてしまいやすくなるわけです。
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2.自分の存在価値は「物事の成功・失敗」に関わらないと理解すること
ありのままの自分を受け入れられない人の多くは、自分の理想が叶わない現実を認めることができずに、苦悩しやすい傾向があります。
それは日常の小さなことから、人生を左右する大きなことまで、ほとんど全ての物事の結果と自分の存在価値とを、関連付けて捉えてしまう癖があるからです。
たとえば、
- 「あの人に嫌われてしまった自分は、なんてダメな存在なんだ」
- 「婚活や就活がうまくいかないのは、自分が誰からも必要とされていないからだ」
このように自分のことを、いつも他者からの承認によって推し測っていれば、生きづらさに苦しんでしまうのは当然のことです。
そして自分の存在価値がいつも揺らいでしまうのは、自分に確固としたアイデンティティ(自我)が確立できていないことが大きな要因の一つになります。
アイデンティティとは簡単に言えば、
「自分は何者なのか」
という自分を知るための一つの見方のことです。
このアイデンティティがあいまいなほど、自分という存在が不確かなものに感じられてしまうわけです。
>>>自分のアイデンティティとは?|その意味と種類をわかりやすく解説!
自分で自分を追い込む癖のある人は「義務感で生きる人生」を送りやすい
焦りや恐怖心といったネガティブな感情ばかりに突き動かされて毎日を送っていると、自分の弱音や本当の気持ちを認められなくなってしまいます。
たとえば、
- 「(本当は風邪で仕事を休みたいけど)周りの人から”使えない人”だと思われたくないから、無理をしてでも出勤しよう」
- 「(本当はこの人のことが嫌いだけど)嫌いな人から嫌われることさえも怖いから、穏便に接しておこう」
また人間には誰にでも、自然と自分の内から湧いてくるワクワク感や期待感があるものです。
しかし自分で自分を追い込む癖のある人は、やるべきことをこなすだけの義務感で生きる毎日に陥りがちな傾向があります。
そうなれば誰でも、次第に人生が楽しくなくなり、生きる意味を見失ってしまいます。
それは「あれをしたい」「これをしてみたい」といったポジティブな感情こそが、人が前向きに生きていくための原動力だからです。
>>>「義務感で生きてる人生・生活」を変えるには、新しい解釈が必要
自分は立派になるために生まれてきたのか
常に楽しいことを我慢して、高い目標や理想をもって努力することは、もちろん誰かに責められるようなことではありません。
しかし自分を追い込む癖のある人は毎日を、
「自分が楽しいと感じることをして、心を満たそう」
と考えるのではなく、
「焦りや恐怖心などネガティブな気持ちから、どにかく逃れたい。
そのためには、立派な自分にならなければならない。
そして立派な自分になりさえすれば、全てが解決するはずだ」
このように毎日を苦痛な気持ちから逃れることを目的に、生きてしまっている可能性があるんです。
これではどんなに自分のことを追い詰めて頑張っても、真に心が満たされて安心感を得られることはありません。
それはそもそも、
「立派になれない自分」を許せないのは、実はこの世で自分だけだ
ということに気付けていないからです。
たとえ立派な自分になれなくても、多くの人は自分のことを受け入れてくれるものです。
「立派な自分になりさえすれば、全てが解決するはずだ」
この誤った思い込みにきちんと気付くことから、自分を追い込む癖は治していけるんです。