「何でも『自分が悪かったのではないか』と罪悪感にさいなまれてしまう」
「人からの頼み事を断ることに、強い抵抗を感じてしまう」
本来「罪悪感を抱かなくてもいい」と頭では分かっているつもりでも、振り回されてしまうことはとても辛く苦しいですよね。
本記事では、罪悪感にさいなまれて苦しい思いをしている方へ向けて、罪悪感に振り回されないための方法について解説しています。
罪悪感にさいなまれる気持ちを克服するために必要なこと
罪悪感にさいなまれる気持ちを克服するためには、
「なぜこれほど克服することが難しいのか」
という理由を知ることが、一番の近道になります。
ではなぜ罪悪感を克服することが困難であるかと言えば、それは、
- 罪悪感は自分の身を守るためのものだったから
- 罪悪感を「埋め合わせ」しようと頑張り過ぎてしまうから
この2つが大きく関係しているんです。
1.罪悪感は自分の身を守るためのものだったから
そもそも罪悪感とは何なのかというと、
「自分は悪いことをした」という思考
のことであり、感情ではないんです。
そのため罪悪感を「感じやすい」という表現は、本当は間違っているんです。
罪悪感に隠れて感じている本当の感情は、
「裁かれる恐怖・罰せられる恐怖」なんです。
つまり、本当は「恐怖の感情」を感じているはずなのに、その恐怖を思考で「罪悪感」に変換しているんです。
そして思考を使って自分で自分を責めている状態、これが罪悪感にさいなまれる本当の仕組みなんです。
罪悪感にさいなまれるようになった理由
それは幼少期にさかのぼります。たとえば、
デパートで魅力的なおもちゃが目に入り、親に「これ買って買って!」と駄々をこねた
この場合、親に叱られると子供は、親に受け入れてもらえる反応を見つけようと試行錯誤します。
その結果、
- 「怒って反応しても、泣いて反応しても、親にやっぱり叱られた」
- 「しかし、反省しているような態度や我慢をすると、褒められた…!?」
このような経験を何度もすると、 元々抱いていた怒りや悲しみ、恐怖という感情を抑え込むようになります。
そして代わりに態度や思考で「反省してます」という姿勢を見せるようになるわけです。
しかし毎回意識して感情を抑え込むのは精神エネルギーが多く必要です。
そのため、それを無意識に出来るように心が順応していきます。
そうなることで、頭で「反省してます。私が悪かったです」と思いながら、そのような態度、振舞いをすると、感情を抑え込めるようになるんです。
つまり、「感情」が「思考」に置き換わるということです。
「罪悪感という、反省する思いや振舞いを利用すれば、それ以上叱られない」
子供はこのことを学んだ結果、罪悪感を今後様々な場面で多用するようになります。
これが罪悪感にさいなまれるようになる理由です。
親の価値観によって「悪い事」の定義が変わる
たとえば、親によっては子供に対して
- 「どんな時でも、どんどん自己主張していきなさい」
と教える親もいれば、
- 「どんな時でも、我を出さずに謙虚でいなさい」
と教える親もいますよね。
親の価値観によって、何が「悪い事」なのかの定義が違うと、それによって叱られる事柄も回数も頻度も変わってきます。
そして、それは親との関わりの中で身に付けていく罪悪感にさいなまれる事柄、回数、頻度に影響していきます。
つまり、自分が取り入れた親の価値観がどんなものなのかによって、自分で自分を責めなければならない場面が多くなります。
その結果、他人に振り回されると感じる場面も多くなるというわけです。
では、どうすれば罪悪感にさいなまれる気持ちを軽減できるのでしょうか。
罪悪感は、その人の善悪の価値観によって左右されます。
そのため幼少期に親から取り入れた善悪の価値観の中で、自分を苦しめているものをいかに特定して手放せるかがポイントになるんです。
「罪悪感」と「正義感」は表裏一体
罪悪感にさいなまれやすい人は、自分の中にある正義によって、
「自分のことも他人のことも裁いている」
状態です。だから苦しいんです。
それは親によって裁かれる恐怖にさらされてきた人は、その親の価値観を自分に取り入れることによって、今度は自分が他人を裁くようになるからです。
「裁く」と言うと少し大げさに聞こえますが、これは「自分の正義を振りかざす」とも言い換えられます。
つまり、罪悪感を持っている人は、もれなく正義感も持っているということです。
そして、自分の中にある正義感を手放さない限り、罪悪感にさいなまれることも軽減することはありません。
手放すためには、まず、どんな正義感を持っているのか把握する必要があります。
自分の中にある正義感を手放す
まず、自分が大事に持っている正義感をリストアップしてみてください。
一例を挙げると、
- 後ろに行列が出来ている会計時は、可能な限り素早くお金を払うべきだ
→逆に、自分がゆっくり会計することに罪悪感を持っている - 他者からの頼み事を引き受けた時は、真摯に対応するべきだ
→逆に、自分が引き受けた頼み事を適当に対応することに罪悪感を持っている
実際、自分がどんな正義感を持っているかを知るだけでも、手放しやすくなります。
さらに、その正義感が
- 世間一般の価値観に近いものなのか
- 少数派の価値観なのか
こうしたことをチェックしていき、可能であれば、
少数派にしか共感されない「正義」は、多くの人から理解はされない
ということも意識していきましょう。
少数派の価値観を持っている数が多いほど、罪悪感にさいなまれたり、逆に人にイライラしたりする場面が増えてしまいます。
また、この「自分が持っている正義」は自分ルールとも言われ、同じくこれに気付けないことも苦しい生き方になってしまう原因にもなります。
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2.罪悪感にさいなまれる気持ちを「埋め合わせ」しようと頑張り過ぎてしまうから
罪悪感は、良い意味でも悪い意味でも人を突き動かすエネルギーを持っています。
そして、それが悪い方向に働くと、ハードワーク(過重労働)につながりやすくなります。
ハードワークとは、
「一生懸命働きますから、こんな自分を許してほしい」
というザンゲにも似た行為とも言えるものです。
- 「休んだ方がいいと分かっていても、仕事をうまく休むことだ出来ない」
- 「周囲の人以上に何かを頑張っていないと、何だか落ち着かない」
それは、本当はしなくていい埋め合わせをしているということです。
さらに、この埋め合わせ行為は
「ハードワークというザンゲをしているんだから、自分を許して認めて欲しい」
という他者への見返り要求につながってしまいます。
そして、このハードワークの心理の裏には、
- とにかく突き進むアクセル(原動力)としての無価値感
- 自分が努力・辛抱して働く方向にしか舵を切らないハンドルとしての罪悪感
という、2つの感情があり、これらが自分を意識とは無関係に仕事に駆り立ててしまう主な原因なんです。
アクセル(原動力)としての無価値感
無価値感とは、
「自分に根拠なく、存在価値を感じられない」
といった、自分のあらゆる側面を否定的に捉えてしまう感情です。
無価値感を抱きやすい人は無意識下で、
「自分は条件付きでないと価値がない」
という思い込みを抱いていることが多いです。
そして、
- その条件が不安定になる
- 自分がその条件をクリア出来ない
こうしたことをきっかけに、無価値感を強く感じるようになります。
たとえば、このような思い込みです。
- 「仕事で同僚より成果を出せない自分は、みんなに失望されてしまうに違いない」
- 「風邪で高熱が出ても、休んだら職場の人に「使えないヤツ」と烙印を押されてしまうに違いない」
こうした思考の背景には、
「自分に存在価値を見い出して安心したい」
という心理があります。
このことから、逆に
- 「同僚よりも成果を出せば、みんなが認めてくれるに違いない」
- 「ずっと無遅刻無欠勤なら、職場の人に頼りにしてもらえるに違いない」
など、「無価値と思い込んでいる自分から脱却できる」と思える条件が見つかると、人並み以上の努力ができます。
これが無価値感の「活動の原動力」としての側面です。
しかし結果的にそれがハードワークにつながり、
このような負のスパイラルに陥りやすくなります。
そして、最終的に自分の心身の状態を無視して頑張ってしまうわけです。
ハンドルとしての罪悪感
罪悪感がハードワークにつながる理由は、
「何かを楽しもう、楽をしよう」
とした時に、活動のエネルギーを楽しむためのポジティブな方向でなく、
もっと努力・辛抱するネガティブな方向へ注ぐように働いてしまうこと
にあります。
- 頑張らない自分は他者に迷惑をかけている、悪いことをしている感覚
- 休憩することも悪い事のように感じる
これが罪悪感の「ハンドル」としての側面です。
罪悪感にさいなまれる気持ちを克服するためには、その気持ちを埋め合わせようと、
「自分を犠牲にしてまで頑張り続けてしまっている」
ことが本当は必要のないことだと気付くことが近道になります。
周囲はそんなに自分に期待していないことに気付く
無価値感と罪悪感が強いと、周囲の人が自分に対して、
「もっと貢献しろ!」
と言っているように錯覚しやすい傾向があります。
しかし実際、上司や職場の同僚が何かを自分に求めているとするなら、それは、
「最低限の与えられた役割をきちんとこなすこと」
です。
自分が同僚に対して、
「身体を壊すほどの働きをしないと得られない成果を求めていない」
のと同じで、誰もそんなことを要求していないはずです。
客観的に考えると分かることが、無価値感と罪悪感にさいなまれていると気付けない
そうしたことは多いので、まずは気付けるだけでもいいんです。
「相手のため」という動機が、罪悪感にさいなまれる気持ちを変化させる
たとえば、同僚の仕事を手伝う時、その動機が
- 実は見返りを求めている
- いつもサポートしてくれる同僚への感謝
同じ手伝うでも、動機によって仕事依存の度合いも変わってきます。
動機が変われば、メンタル面も良い方向に向かいます。
そして、自分の動機を常に意識することは、自分が埋め合わせ行為に陥っていないかをチェックする役割を果たします。
もともと人は自分で自分を責めたりしません。
自分が苦しんでいるその罪悪感は、もともと自分には無かったものです。
それは育ってきた環境の中で、主に親に受け入れてもらうために使い始めた処世術の1つです。
そうまずは気付くことから少しずつ罪悪感にさいなまれる気持ちを軽減していきましょう。