「自分の辛さをわかって欲しい」人が、実は本当に望んでいるもの

人付き合いの悩み
  • 仕事の辛さを友人やパートナーに理解されない
  • 辛さを理解されず、一人で抱え込んでしまう

自分のことを理解してもらえない時って、余計に相手に「分かってほしい」と思ってしまい、苦しくなりますよね。

 

本記事では、他者から自分の辛さを分かってもらえず苦しんでいる方へ向けて、その苦しさを軽減するための方法について解説していきます。

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「自分の辛さをわかって欲しい」人が、実は本当に望んでいるもの

相手に理解されないほど「分かってほしい」と強く相手に執着してしまう。

 

こうした人が本当に望んでいる気持ちとは、

  • 「分かってほしいという他者への期待を手放して、もう自由になりたい」
  • 「分かってくれないなら、自分の辛さの責任をその相手にも持ってもらいたい」

という異なる2つの思いが、実は心の底にあるのではないでしょうか。

 

そもそも、なぜ他者に対して「分かって欲しい」と強く望んでしまうのかというと、その大きな理由は、

分かってもらえないことが「恐怖の感情」と結びついているからです。

 

  • 自分の辛さを理解してもらえないと、ただの甘ったれだと思われてしまう
  • 弱音ばかり吐いていると思われたら、孤立してしまう

しかし、これは逆に考えれば、

「その恐怖心さえ感じなければ、別に分かってもらえなくとも大丈夫」

ということにもなります。

 

つまり自分の辛さを分かって欲しい人が望んでいるものは、他者からの理解でなく、他者の理解からの解放ということです。

※私自身も「分かってほしい」思いに苦しんできました。

 

自分が他者から分かってもらうことに執着してしまっていたのなら、もう執着しなくて済むように、

「他者から分かってもらえないこと」と「恐怖心」との間には、実は何の関係性もない

このことを再確認してみましょう。

>>>他人に期待しない方法!これで私はだいぶ楽になれた

なぜ、そこまで「わかって欲しい」と思ってしまうのか

自分がどんなに辛い思いをしていても、他人からはその辛さが見えにくいため、理解されないことは本当に苦しいことです。

 

しかし、この苦しさに陥っている人の中には、ある大きな思い込みをしている人がいます。

それは、

「相手は自分の気持ちを理解することができるはずだ」

というものです。

 

この思い込みには「自他境界」という、自分と他人の心の境界線の問題が隠れている場合があるんです。

>>>「私、嫌われているかも」と悩むのは、自他境界の曖昧さが原因!?

 

この思い込みを持った大きな原因の一つは、主に幼少期の親との関係性です。

たとえば、

  • 親が自分の不機嫌を子供のせいにする
  • 親が子供の気持ちを勝手に決め付けてしまう

 

このような、親からの過干渉により、子供によっては

「自分は親の気持ちを察して理解することができる」

と思い込んでしまうわけです。

 

そして、そのまま成長すると、その親との関係性を他者との間にも持ち込むことになり、

  • 「自分は相手の気持ちを理解することができる」
  • 「相手も自分の気持ちを理解することができるはずだ」

このようにお互いに気持ちを理解し合うことができるはずだと思い込んでしまう可能性が高くなるんです。

 

この関係性の問題点は、相手の気持ちをきちんと言葉で確認せずに、お互いに

「察するコミュニケーション」

をして、相手の気持ちを分かっているつもりになってしまうことです。

>>>人の気持ちを勘ぐりすぎてしまう根底にある心理とは

 

そうした相手の気持ちを読むコミュニケーションが基礎になってしまうと、

「相手は自分の気持ちを本当は知っているはずなのに、分かってくれない。どうして?」

という気持ちになってしまうわけです。

相手はそもそも分かってくれる人なのか

自分の辛さを分かってくれない人の中にも、もちろん色々な人がいます。

 

何を言っても、なかなか分かってくれない人は、主に3種類に分けられます。

  • 「分かろう」という気はあるが、情報が不十分で理解できない人
  • そもそも「分かろう」という気がない人
    (ただし、情報やイメージが整えば理解できる)
  • 初めから「分かりたくない」人
    (相手に「分かって欲しい」と執着させたい)

 

相手が上記のうちのどの種類の人なのかを考慮せずに、

  • とにかく分かってもらおうと自分の正当性や他者の事例などを懸命に説明する
  • どう言えば伝わるのかを懸命に考え続けてしまう

これは利口な選択とは言えません。

 

まず、この時点で

「自分の伝え方が不十分だから、分かってもらえないんだ」

という前提を自分が持ってしまっていることに気付くことが必要です。

 

それに気付かないと、思考の中心が常に「他者に分かってもらえるかどうか」になり、「自分がどうしたいか」がなくなってしまいます。

さらにそれは、自分の時間も体力も精神力も思考も行動も相手のために使うことを意味しています。

 

しかし、なぜそこまで相手に「理解されたい」と思ってしまうのか。そこには過去の経験が関係しています。

「分かってほしい」と強く思うのは、過去に理解されずに苦しんだ経験があるから

分かってほしいという思いが強い場合、幼少期、特に親に

「自分のことを分かってもらえなかったと感じた経験」

が影響している場合があります。

 

たとえば、

  • 具合が悪くてご飯を残すと、理由も聞かずに残したことに対して怒られた
  • 親が寒がっている時に、自分が寒くないと言うと素っ気ない態度を取られた

という経験が強く心の恐怖体験として根付いてしまうと、親に対して、

「反抗するつもりはない。だから、それを分かって欲しい」

という気持ちが強くなります。

 

そうした結果、普通は、

「誰も分かってくれない状況が続くと、分かってもらおうとすること自体を諦める」

というところを、分かってもらえないことが恐怖の感情と結びついていると、そこに執着してしまい、諦められなくなってしまうわけです。

>>>他人への執着を手放すために「してはいけないこと」

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「分かってもらいたい」その発想が自分を苦しめてしまう

根本的なことですが、「分かろう」という姿勢がない相手に分からせるのは非常に難しいことです。

 

無理と言っても過言ではありません。

無理どころか、「分かってほしい」と頑張れば頑張るほど

  • 「自分が間違っているのではないか」
  • 「自分がダメ人間なのではないか」

自信を失っていくことになりかねないんです。

 

それに「分かる気のない人」というのは、そもそも他者の気持ちに歩み寄ろうという気がない傾向が強いです。

そのような人に対して、「相手を変えたい」「分からせたい」という期待は、相手に対する執着をより強めるだけになってしまいます。

分かってもらいたいを「諦める」

分かってほしいという発想を捨てない限り、ずっと報われないことにエネルギーを消費し続けることになります。

 

ですから、自分のことを分かってくれない人に、分かってもらおうとこだわり過ぎてはいけません

それよりも自分のことを分かってくれる人にだけ、分かってもらおうとする方が建設的です。

 

そして何より今の自分はもう幼い子供ではないわけです。

もう誰に分かってもらえなくても、実はそこまで大きな問題はないはずなんです。

 

少しずつ自分が自分の辛さをわかってあげることができれば、いずれ誰かに分かってもらわずとも、

自分の辛さの責任を、自分で背負って生きていける覚悟と勇気を持てるようになるはずです。

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