何もかもが嫌だ…もう全部を投げ出したいけど、それも怖くて…。
仕事もプライベートも人付き合いも、とにかく必死に頑張っている人ほど、自分の心のSOSにはなかなか気が付けないものです。
また自分の限界に気づいていたとしても、どうしていいのか分からずに、一人で思い悩んでしまう人も少なくありません。
特に心身共に限界を迎えている状態では、無気力になったり無感情になったりと誰でも冷静な判断ができないものです。
ではそんなとき、どのようにそうした自分の気持ちや状況と向き合っていけば良いのでしょうか。
本記事では、もう全部を投げ出してやめてしまいたいという思いを抱えた人へ、その思いへの向き合い方について解説していきます。
何もかも全部やめたい…そんな思いを一人で抱え込んでいる人へ伝えたいこと
もう全てを投げ出してしまいたいという気持ちは、決して心が弱いから生じるものではありません。
むしろある意味で心が強い人ほど、自分がそこまで精神的に追い詰められているということに気付けない場合が多くあります。
つまり、もう仕事も家事も人付き合いも何もかも全部やめたいという気持ちは、心の底からのSOSメッセージであり、
- 早急に、楽しい感情や気持ちで自分を満たす必要がある
- もう我慢ばかりの毎日では、これ以上耐えられない
という緊急性の高いものになっているわけです。
ではなぜ自分の気持ちを満たすことがそこまで重要なのかというと、人間の活動エネルギーの主な原動力は「感情」だからです。
そのため自分の本当の感情を無視し続けていれば、誰でも生きる意味を見失ってしまうリスクがあります。
なぜそこまで心の声を無視しながら生きてしまうのか
多くの人がたとえ義務感でも、毎日のように仕事や家事などのやるべきことをこなし続けられるのは、きちんと自分の気持ちを満たすことを第一に生きているからです。
- 仕事中でも最低限の喜怒哀楽の感情は表現する
- 休日は本当に好きなことをして過ごす
- 自分の気持ちを偽ってまで人付き合いをしない
こうして自分の気持ちを満たせるからこそ、「今日も頑張ろう」とエネルギーが湧いてくるわけです。
実際、世の中の大半の人は働くために仕事をしているわけでもないし、嫌いな人から好かれるために人付き合いをしているわけでもはないですよね。
みんな楽しく生きるため、つまり自分の気持ちを満たすために日々を頑張っているわけです。
しかし自分の気持ちよりも他人の気持ちや都合、またはやるべきことを優先しすぎてしまえば、誰でもエネルギーは枯渇してしまいます。
そうなれば最終的に、もう仕事も人間関係も何もかも全部をやめたいという極限状態に陥ってしまうのは当然です。
ではなぜそこまで自分の気持ちを軽視してしまうのでしょうか。
それはそこに自分の気持ちを満たすことよりも、自分にとって重要なことがあるはずだからです。
自分の心を追い詰めてしまう根本の原因
人は誰でも基本的には他人のことよりも、まずは第一に自分のことを大切にするものです。
しかし人によっては、自分の気持ちや都合をないがしろにせざるを得ない心の状態に陥っていることがあります。
それは、
「自分のことよりも、他人の気持ちや都合を最優先にしなければ、自分は誰からも受け入れてもらえないし、存在価値を認めてもらえない」
そう心の奥底で強く思い込んでしまっている場合です。
こうした思い込みをもっている人は、幼少期に親から条件付きでしか存在を認めてもらえなかった過去がある可能性が考えられます。
- 親の気持ちや都合に合わせないと、受け入れてもらえなかった
- いつも自分の気持ちや意見は、押さえ込まなければならなかった
このような環境で育つと、他人や自分自身に対して十分な安心感を抱けなくなります。
そうして大人になってしまうと、自分の気持ちを満たすどころか、まずは不足している安心感を得ることを最優先に生きざるを得ない人生となってしまうわけです。
そうなると極端な話、毎日が他人を満たすための人生になってしまいかねません。
- 人からの頼み事を断れずに、何でも引き受けてしまう
- いつも相手に合わせて、自分は我慢ばかりしてしまう
ただ、こうした自分を苦しめている心理に、まずは気付くことが重要なんです。
何もかも全部をやめたい…そんな風に思う自分は決して無責任などではない
何もかも全部をやめたい…そんな気持ちをもってしまうほど追い詰められている人は、そもそも自分が負わなくてもいい他人の責任まで負って苦しんでいる場合が多くあります。
これは何も仕事に限った話ではありません。たとえば、
- 他人が不機嫌だと、自分がその機嫌を何とか良くしなければならないように感じてしまう
- 目の前で他人が困っていると、自分を犠牲にしてでも手助けしようとしてしまう
こうした自分の心が背負える以上の責任や負担を引き受けてしまいやすい人は、自分と他人の心の境界線(自他境界)があいまいなために苦しんでいることが少なくありません。
この自他境界があいまいだと、
- 自分の気持ちと他人の気持ちの区別がつきにくくなる
- 自分の気持ちを満たすことを後回しにしてしまう
といった傾向が強く出てしまいやすくなります。
このようなことからも、何もかも全部やめたいと苦悩しているときこそ、
「自分はもしかすると、自他境界があいまいなのかもしれない」
そう考えて一度は立ち止まってみる必要があります。
それはこの自他境界の問題が、想像以上に日常の数多くの場面で自分を苦しめている可能性があるからです。
>>>「私、嫌われているかも」と悩むのは、自他境界の曖昧さが原因!?
自分を大切にできなくしている感情とは
自分の気持ちを満たすことが苦手な人は、そもそも喜怒哀楽の感情を表に出さずに自分の中に押さえ込みがちな傾向があります。
その原因の一つには、自分以外の他人が苦労したり悲しんだりしているときに、自分だけが楽しんだり喜んだりすることに強い罪悪感をもちやすいことが挙げられます。
何かと自分で自分の気持ちを自制しがちな人は、
「自分は他人にどう思われるだろうか」
という他人の目にいつも意識が向きやすくなっています。
さらにそれに加えて、この心理の裏側には、
「自分は自分の気持ちを自制するから、その代わりに自分のことを悪く思わないでほしい」
という無意識下での他人への期待や要求をもってしまっている可能性があるんです。
本来、他人の気持ちというものは、誰にもコントロールできないものですよね。
それにもかかわらず、コントロールできるものだと自分でも気が付かないうちに思い込んでいれば、その分だけ他人に対する不満や怒りは積み重なってしまいます。
実際こうした思い込みや心理は、自他境界のあいまいさから生じるものでもあるわけです。
だからこそ、もう何もかも全部をやめたいと追い詰められている人ほど、まずは、
- 自分は他人に対して、過度な期待や要求をもっている可能性がある
- 自分は他人の気持ちはコントロールできるものだと思っている可能性がある
ということに気付いた上で、他人を変えようとする前に自分の気持ちを満たすことから少しずつ始めていく方が合理的なんです。
これはどんな小さなことからでもいいんです。
- コンビニで好きなスイーツを自分に買うでもいい
- 仕事なら多少の仮病を使って午前中だけ休むでもいい
自分の気持ちに意識を向けてみることが大切になります。
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もう全てを投げ出したい…心身ともに疲れ切っている人へ
「もう何もやりたくないし誰とも関わりたくない」
そう思い詰めるまで無理を重ねてきた人は、本当にこれまで辛く苦しい思いに耐えてきたんだと思います。
そんな過酷な中では、なかなか誰かに弱音や本心を打ち明けて相談することは難しいことかもしれません。
しかしもしこれまでずっと一人で辛さを抱え込んできたのなら、一度イメージしてみてほしいことがあります。
それは想像の中で、これまでの人生で仲の良かった友人や信頼できた人たちに、自分のいまの苦境と気持ちを相談してみることです。
初めに具体的な人物をイメージしたら、
- その人になら、具体的に何と言って相談するだろうか
- 悩みを打ち明けたら、相手は何と言って応えてくれるだろうか
このことを想像してみてください。
どうでしょうか。きっと暖かい言葉で励ましてくれたり労わってくれたりするはずです。
なぜかと言えば、もしその相手の方が逆に、何もかも全部をやめたいと自分に相談してきたとしたら、絶対に相手を非難したり冷笑したりなんかしないはずだからです。
つまり、ほとんどの人はたとえ自分が全てを投げ出したとしても、一方的に非難してきたり後ろ指をさしてきたりしてこないはずなんです。
だからこそ本当にもう限界なのであれば、背負っているものを全部やめてしまうことも現実的な手段の一つだと思います。
しかし、もしまだ少しでも余力があるのなら、これまでの人生で自分を支えてくれた人たちに今一度、想像の中で相談してみてください。
そうした自分の内面との対話を重ねることで、少しずつ一歩ずつ自分の本当の気持ちに気付けるようになるはずです。