- 「怒られると、その相手と接することに強烈な恐怖を感じてしまう」
- 「怒られることを想像すると、体調が悪くなる」
- 「怒られることが強烈に怖いというトラウマの原因と解消方法を知りたい」
他人から怒られることへの恐怖の苦しみは、当の本人でなければ分からない辛さがありますよね。
本記事では、他者の怒りに対してのトラウマに苦しんでいる方へ、そのトラウマの正体についてお伝えしていきます。
怒られるのが恐いというトラウマの本質は心の問題ではない!
トラウマとは心の問題ではなく、「身体の記憶」と言うことが出来ます。
そしてトラウマの苦しさを軽くするためには、安心感を身体に感じさせることが1つの解決方法になるんです。
それではトラウマが身体の記憶とはどういうことなのか、詳しく説明していきます。
怒られるのが怖いというトラウマは身体に記憶されている
たとえば、
「仕事で自分のミスが判明したとき、上司に怒られるに違いないと思い、怖くてたまらなくなった」
この出来事については、以下の流れで反応が起こっています。
外部刺激
仕事のミスに気付く
身体反応
心拍数が上昇、胸が苦しくなる
思考
「怒られて罰せられるに違いない」
「自分は無力で無価値な存在だ」
感情
恐怖、劣等感、憂うつ感
行動
パニックになり、動けなくなる
ここから、それぞれの関係性について説明していきたいと思います。
感情は思考から生まれる
感情は、必ず何かしらの出来事を頭で「解釈」した結果、生まれるものです。
先ほどの例で言うと、「怒られて罰せられるに違いない」と解釈したことによって、「恐怖」という感情が生じるわけです。
「じゃあ、何が起きてもネガティブに捉えさえしなければ良いのか」
と言うとそう簡単にはいきません。
意識して考える思考以外に、人間には「自動思考」という、自分の意志とは関係なく浮かんでくる思考のクセがあり、それを押さえておく必要があるんです。
思考は身体反応から生まれる
誰でも「嫌なことが、ふと脳裏に現れて頭から離れない」ということがありますよね。
これは理由もなく突然生じているわけではありません。
主にネガティブな思考が浮かぶ前には、身体反応が先に生じています。
先ほどの例で言うと、「心拍数が上昇」「胸が苦しくなる感覚」が先にあり、それによって過去の嫌な思いが蘇るわけです。
たとえば、
- 身体がダルい
→「会社に行くのが億劫だ」 - 心臓がドキドキする
→「緊張しているのかもしれない」
こうした思考も、身体反応から生じているんです。
そして特定の身体反応と思考がセットになったものが、俗に「自動思考」と言われています。
身体反応は手続き記憶から生まれる
これまで取り上げてきた「身体反応」も、実は手続き記憶というものをトリガーとして生じています。
手続き記憶とは、端的に言えば「身体が覚えている記憶」のことです。
自分の意識とは関係なく、身体が自動的に反応して体の動きを再現することが出来ます。
たとえば日常生活の中では、自転車の乗り方や楽器の演奏などが、その一例です。
そして「何となく嫌な感じ」「居心地が悪い」など、言葉では言い表せない「場の雰囲気」からも身体反応は生じます。
- 夜の墓場に行ったら、背筋が凍る思いをした
- 過去に嫌だった人と同じ雰囲気を感じて、身体が勝手に身構えてしまう
先ほどの例で言うと、とんでもない仕事のミスをしてしまったという「雰囲気」から、
心拍数が上昇、胸が苦しくなる身体反応が生じたというわけです。
ここまでの話をまとめると、
- とんでもない仕事のミスをしてしまった「雰囲気」を感じ取った結果、恐怖や劣等感、憂うつ感という感情が生じている
- 雰囲気を感じてから、感情が生じるまでの間は、無意識に処理が行われている
トラウマを抱えるほど苦しかった記憶も、同じ仕組みで身体に記憶されていると言えます。
そして、何かをキッカケにして自動再生されてしまうということです。
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トラウマ記憶を呼び起こすトリガーも身体記憶
身体記憶には、トラウマ時の「身体の反応」や「五感」も記憶されています。
そのため、過去に怒られてトラウマになった時の
- 匂い
- 相手の声色
- 音、音楽
- 皮膚感覚
- 場面
などと身体反応をセットにして記憶しているんです。
それによって今度は、その五感をトリガーにして苦しかった身体の記憶が再生されてしまうというわけです。
怒られることが苦しいのは、身体が死んだふりをし続けているから
人間に限らず、あらゆる生物が強いストレスにさらされた場合の防衛反応は、3つしかありません。
- 「戦う」
- 「逃げる」
- 「凍り付く(死んだふり)」
多くの場合は「戦う」か「逃げる」かです。
しかし、トラウマとなる状況とは、生物的に戦うことも逃げることも出来ない状況に身を置いてしまった時です。
たとえば、
- 親からの虐待
- 大勢の前で恥をかかされた
などです。
子供は基本的に無力で、かつ養育者(親)なしでは生きられないため、戦うことも逃げることも出来ません。
また職場でも目上の人が相手では、戦うことも逃げることも基本的には難しいですよね。
このように強烈な恐怖にさらされているにも関わらず、その場から逃れることができない場合、最後の手段として「凍り付く」という防衛反応を起こします。
「凍り付く」とは、身を潜める、死んだふりをするということです。
これは戦うことも逃げることも出来ない時に生じる反応です。
何者かが、人間関係や仕事を邪魔していると感じると、低度あるいは中度の怒りが沸いてくるのに気づくことがある。
次に、協力して保護、逃避、防衛または攻撃的な行動を取る。
強度の恐れ、怒り、戦慄または激怒を感じると、われわれは「戦うか・逃げるか」という手続き記憶を無意識に選択し、作動させ、瞬時に、かつ迷いなく全力で行動する。
もし、こういった行動を完全に実行できないか、打ちのめされてしまった場合には、無力感に満ちた不動状態のなかで、「凍りつく」か気を失い、安全が戻るまでエネルギーを節約する。
この「凍りつき」の症状は具体的には
- 過度のリラックス状態になり、頭が働かなくなる
- 吐き気(気持ち悪さ)が起こる
などがあります。
通常は危機が去れば、この凍り付き(死んだふり)の状態も解除されます。
しかし、長期間・何度も危機にさらされていると、トラウマ時の防衛反応として生じた凍り付きの状態を身体が記憶してしまいます。
下記の著書の中では、凍りつきのことを「不動反応」と表現されています。
繰り返しになるが、トラウマは不動反応が解消されないときに生じる。
すなわち、日常生活に戻るための移行ができず、不動反応が不安や、恐怖、嫌悪、無力感のような強烈な否定的な情動と慢性的に結合(couple)したときに生じる。
このつながりが一旦形成されてしまうと、不動状態に関わる身体感覚そのものが恐怖を呼び起こす。
~省略~
そこでの内的(身体)感覚は恐れとして条件付けられている。
トラウマを負った人は、その出来事が過ぎ去った今現在でも、何かの刺激をキッカケに身体はその「凍り付いている」真っ只中の状態になってしまうというわけです。
まずは自分の身体に起きていることを知るだけでも意味がある
たとえば、幼少期に親から怒鳴られたことに強いショックを覚えてしまった場合、
その怒鳴られた時に感じた
- 相手の声
- その場の雰囲気
- 相手の表情
など、身体が感じた情報は、身体が凍り付いた当時のまま体の中に記憶される場合があります。
そして成長してからも実際は凍り付きの状態が続いていて、職場で上司に怒られた時に、
幼少期の親に怒鳴られた時と身体が感じる情報が似ていると、一気に当時の強烈な恐怖がよみがえってしまうと考えられるんです。
つまり、怒られるのが怖いというのは、思考で考えた結果「怖い」のではなく、身体が怖がっていたということです。