多くの人がはまる「普通がいい」という病

心の悩み

普通に働いて、普通に結婚して、小さな幸せを喜べる人生を歩めたら…。

でも、その「普通がいい」という価値観では、いくら悩んでも心は楽にならないものです。

 

こうした漠然とした思いから、苦しい生き方をしている人は多いはずです。

本記事では著『「普通がいい」という病』から、

「普通になりたい」という価値観に囚われてしまう苦しみの原因と解決法について解説していきます。

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これはどんな本?

「『平均的な暮らし』に縛られることで、いかに多くの人が窮屈な生き方をして苦しんでいることか」

本書では平均的であろうとするがために人は、人生に行き詰ったり、心身の不調が起こったり、生きる意味を見失ったりしていると述べられています。

 

だからこそ「普通がいい」という価値観への素朴な疑問の答えを、一人一人がしっかりと持っておくことが必要なんです。

「普通」という言葉に含まれている価値観とは

「普通がいい」という考えに、多くの人が囚われて苦しんでしまうのは、その言葉の中に、

  • 平均的でみんなと同じことは良いことだ
  • 普通が一番幸せなことだ

という大きな価値観が隠れているからです。

 

「普通」になれば「普通」に幸せになれると思い込んでいるわけです。

しかし、幸せというものには「普通」はない。

なぜなら「普通」ではないのが、幸せの本質だからです。

つまり平均的な人生を送りたいというのは、本質的には「幸せになりたい」という意味で使われていると言えます。

 

しかし、それを「平均的な人生を送らなければ、幸せにはなれないんだ」と解釈してしまうことが、苦しみを生じさせているんです。

多数派が必ず正しいわけではない

「多数派に属するのが、正しいことだ」という価値観は、漠然と多くの人がもっているものですよね。

  • 「このくらいの年齢の人は、もう〇〇している」
    (結婚、安定した仕事など)
  • 「△△なことをするのは、普通じゃない」
    (好きなことだけして生きるなど)

 

だからこそ多くの人は、自分にも他人にも「普通がいい」という価値観を無意識のうちに押し付けてしまうんです。

「普通」という言葉は、さらに「標準的な」「社会適応している」といった価値観をも含んでいるわけです。

このように、その言葉にまとわりついている価値観や世界観のようなものが縛っているわけです。

 

普通が一番正しいものだと感じてしまう理由は、みんなと同じになることが一種の安心感を生むからです。

しかし、それでは人生に挫折してしまったときに、

「もう周りの人と同じ普通の人生を送れないから、自分の人生はおしまいだ」

と自分を追い詰めることにもなってしまいます。

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普通がいいという幻想

たとえば「神経質すぎる自分」は普通じゃないと悩んでいたとします。

 

けれど、神経質というのは裏を返せば、「感受性が豊か」とも捉えられるわけですよね。

つまりどんなことであっても物事は、その捉え方次第でどのようにも見ることができるということです。

 

だからこそ、その物事の片面だけに注目して「これは良いこと、それは悪いこと」と決めるのは無意味なことと言えるんです。

人間は、何らかのレッテルを自分で自分に貼ってしまいがちです。

「私は神経質です」
「私は頑固です」
「私はうつ病です」
 …。

貼ったことによって、自分で自分を規定してしまいます。

こうしてレッテルの言葉の中に、自分自身を閉じ込めてしまう。

ではなぜ、それが問題なのか。要点だけ言えば、ポジティブがあると必ずネガティブが生まれるという問題が裏に潜んでいるからなのです。

 

またこの社会には、自分が「みんなと同じ多数派であるかどうか」を推し測る、数多くの漠然とした「指標」があります。

  • 結婚の有無
  • 子供の有無
  • 年収
  • 学歴
  • 身長・体重などの外見のスタイル

その中でほとんどの人は、

自分はいくつかの指標においては、皆と同じ普通(自分は多数派)だけど、

 

他のいくつかにおいては、皆と同じ普通ではない(自分は少数派)

という状態のはずです。

 

それをたった一つの指標だけに注目して、「自分は普通ではない」とレッテルを貼ってしまっては、自分が苦しくなってしまうだけです。

「普通」にこだわるが故に、生きづらい人生になっている

「普通がいい」という価値観にこだわることへの弊害は、社会的な世間体のことだけでなく、自分自身の心や身体についても言えることです。

 

たとえば一般的には昼夜逆転の生活を送ることは、正常ではないとされています。

そのため、とにかく無理やりにでも規則正しい生活をしようとしてしまいがちです。

 

しかし身体は必要だからこそ、昼夜逆転の状態を引き起こしていると本書では述べられています。

うつ病の患者さんは、よく昼夜逆転になります。

患者さんにとって日中とは、精神的にとても苦しい時間帯です。

 

一方で夜は、世の中のみんなも休んでいる。だから、夜の方が自責の気持ちにさいなまれにくい。
そういう事情があるために、昼夜逆転は起こってくる。

このせっかくの昼夜逆転を、良くないことだと考えて自分を責めたりしますと、状態は悪化してしまいます。

 

昼夜逆転することで、自分を自責から守ろうと「心」=「身体」がしてくれているわけです。

このように心や身体は「異常だとか常識だとかに関係なく、とにかく自分を守りたい」と働いているわけです。

 

そうしたところに、思考が「普通は〇〇だ」とそれに反発して生きようとするからこそ、苦しい生き方になってしまうわけです。

人生とは、所詮はファンタジー

皆と同じような人生を送れないことに多くの人は、大なり小なり恐怖心を持っているものです。

しかし、その自分が恐れている「皆と同じ普通」というものが、

  • いかにあいまいなものであるか
  • いかに実体のない幻のようなものであるか

それを理解できれば、必要以上に「普通になりたい」という価値観にこだわる気持ちは静まっていくはずです。

 

この現実というものさえ、本当は実体のないファンタジーのような世界なのかもしれないわけです。

社会的役割にしてみたところで、飲み屋へ行って「俺は○○会社の部長だ」とか息巻いている人も、ただの一人の酔っ払いの男であることに変わりはない。

 

会社の中では部長さんとして「偉い」のでしょうけれども、その「偉い」ということも、ある限られた社会の中でのみ通用するファンタジーに基づいているわけです。

つまり、「現実」と呼ばれているものも、一皮むけば、どれも「ごっこ」の世界なのです。

「普通がいい」という病への処方箋

世の中の「普通」という価値観に振り回されずに「自分」を持って生きていくためには、

「自分で感じ、自分で考える」

このことを意識していってほしいと思います。

 

これは別の言い方をすれば、「自分に自信を持つ」ということです。

では、どうすれば自分に自信が持てるようになると思うかと聞かれたとき、

  • 人から認められたら
  • 良い人と結婚できたら
  • 仕事で成功できたら

多くの人はこのように思うはずです。

 

ただ、これでは自分の外側にある根拠(他人からの承認)を元にしてでしか自信を持つことができません。

本来、自信とは何か外側に根拠がなくても持っていいものなんです。

 

そのためのヒントが本書には多く記されています。

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